2019年08月06日

現憲法が有効ならGHQは憲法違反

憲法破棄というと大方の人にとっては過激な主張と聞こえるかも知れません。しかし、ごくごく常識的なことを言っているにすぎません。
憲法は最高法規と言われています。
憲法を作るということは従って、国家の統治についての最高規則を作ることです。

さて、現憲法は戦後日本が米国の統治下にあった昭和21年に成立しています。終戦の1年後、サンフランシスコ講和条約で日本が独立したのは昭和26年でその5年前。米国の日本占領統治の初期です。
この時間軸の中で、占領統治者をも含めてそれを律する最高法規を作るとはどういうことでしょうか?
もし憲法が有効なら、占領統治者の存在は無効(A)であり、占領統治者の存在が有効なら憲法は無効(B)です。
2つに1つしかありません。両方有効はあり得ません。なぜなら両方有効なら自己矛盾に陥るからです。
もし現憲法が有効であるなら、GHQは何の法的な根拠があってその後5年間日本を実質的に統治したのか?ということになります。
現憲法の中にGHQの統治について規定はありません。つまりGHQの統治は憲法違反ということになります。ところがGHQは憲法違反だという意見は、右からも左からも聞いたことがありません。
GHQの占領統治は事実ですからそんなバカなことをいう人はどこにもいません。

つまり歴史事実からすると結論はBでしかないのです。
占領統治下にあってはGHQが最高権力であり、それは憲法に書いてなくても有効なのです。憲法に書いていないGHQの統治が有効ということはすなわち現憲法は成立直後から無効ということです。
今安倍氏や自民党が言っている改憲とは現憲法の内容は維持し、新たに条文を追加するだけの改憲です。内容を改めることを改正と言います。内容を改めないでただ新しい条文を追加するだけでは憲法改正でもありません。これは改憲に名を借りた現憲法の追認です。
彼らの認識はAもBも有効だと言うのです。全くいい加減です。

憲法を破棄すべしとは、変えようのない歴史に従えば結論はBしかないと言っているすぎません。
現憲法は成立の時から無効だからまず捨てるます。捨てるまでに新憲法を用意する必要はありません。
憲法がなくなったら大変だと皆さんお考えのようです。
だから現憲法に問題あるならなぜ改正しないのか、という右派と言われる方々は主張します。彼らは憲法が禁止しているから例え侵略されても武力行使できないと言っている左派と同じように頭が固いです。
成文憲法などなくても何も困ることはありません。我々は憲法があってそのお陰で生きているわけでないのですから。
この世は法律順守だけしていれば生きていける社会ではありません。国と国との関係も同じです。
法律は考慮しますが、最善の結果になるように臨機応変に行動することが生きるためには求められます。国の行動や判断も同じです。

憲法の上位には自然法があり、更に建国2800年の日本には我々の意思に関係なく不文慣習法が既に存在しています。それは成文憲法より柔軟性がありより優れています。現実の法的問題の大半は個別法で解決されるので、憲法を破棄しても法秩序は混乱しません。
posted by woodhome at 13:34| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年07月25日

本邦初公開、シワを作らない簡単な襖の張り替え法

今回は本ブログのテーマと全く関係のない襖の張り替えについて書いてみたいと思います。
以下の襖の張り替え法は本邦初公開、おそらくこれまで誰もやったことのない方法です。ちょっと大袈裟かな。

私が今回選んだのは襖紙の裏側に切手と同しように乾いたのりが付いているタイプで、張る直前に水を含ませたスポンジで濡らしてのりを復活させるものです。
作業手順としては水で溶いたのりを刷毛で塗るのと同じです。本格的なやり方に近い方法です。
素人にとってはアイロンでのり付けするタイプが楽そうに見えます。それでこちらの方が普及しています。私は前回アイロンタイプを使ったことがありますが、結論から言うと切手タイプの襖紙をお勧めします。

ご存知のように襖の張り替えがうまくいくかどうかはひとえにシワをつくらずに貼れるどうかにかかっています。シワを作らないということは被接着面である本体と襖紙の間に空気層を入れない、ということでそこが襖の張り替えの急所です。
その点、障子の張り替えは、貼りつける面積が小さいのでシワを作らいことはさほど難しくはありません。しかし襖の張り替えは貼りつけ付ける面積がずっと大きいので難易度は各段に高くなります。
アイロンタイプの場合は加熱によって本体と襖紙を瞬時に接着するので仮にシワが出来たとしてもやり直しできません。
ですか切手タイプや刷毛塗りタイプはやり直しが効きます。のりが固まるまで少なくても数分の時間的な余裕があるからです。
それが切手タイプを推す主な理由です。

以下、実体験にそってお話します。
まず用意するものについて。
襖紙 切手タイプ
襖紙張り替え道具セット (端切取り用定規、空気抜き用刷毛、スポンジ、カッターなど一式で900円位でした)
物干し竿など 
食卓(襖を寝かせて作業する方が楽なため)
私も襖の張り替えを商売にしようなどという大それたことを考えていませんので襖の張り替えの指南書に従って作業をすすめ、その通りにまずまずに仕上がれば勿論それでよかったのです。
しかしうまくいきませんでした。シワを作らないで貼るのが難しいのです。
原因ははっきりしています。全面にのり付けした襖紙を貼りつけて空気抜き用の刷毛で中央から端に空気を追い出すようにならすのですが、その作業は端から順々にしかできません。するとその間にやっていないところがひっつき始めてしまうのです。ひっつき始めたところを剥がしてシワ伸ばしすると、既に刷毛でならした部分との間にシワができてしまったりします。
つまりアイロンタイプよりはマシなのですがやはりやり直しは難しいということです。とにかく全面のり付けされた状態から空気抜きをすすめるのが難しい。

さて、上の道具の中に物干し竿があるのを不思議に思われた方も多いと思います。しかしこの物干し竿こそ襖の張り替えの急所を押える秘密兵器になります。
指南書では襖紙にのりを付けその上に襖本体を被せる、そして本体ごと裏返しにして空気抜きをする、とあります。しかしこの方法では空気抜きをしている以外の部分にひっつきが始まってしまいます。うまくいきません。
ですのでこれを避けるには空気抜きしていない部分にひっつきが発生しない状態をつくれば良い、ということになります。
その状態をつくるのが物干し竿という訳です。

つまりこういうことです。
指南書とは逆に襖本体の上にのり付けした襖紙を被せます。ただし襖本体と襖紙が直接触れないように挿入材をかませます。その挿入材として最適なのが物干し竿です。
物干し竿は本体および襖紙と触れる面積が小さく(くっつきにくい)、また簡単に移動させられます(転がせる)。今回必要な数の物干し竿がなかったので足りないところは木材で代用しました。

このようにセットさえできれば後やることは決まっています。指南書どおり端から順番に中央から両端に向けて刷毛でなぞりながら貼りつけていくだけ。終わったら物干し竿を転がして順番に作業を進めます。

襖の張り替えをやってみようという方はお試しあれ。ただしうまくできるかどうかについては責任を持ちかねます。あくまで自己判断でお願いします。

fusuma2.jpgfusuma2.jpgfusuma2.jpg
上は挿入材である物干し竿と木材を間隔を開けて襖本体の上に並べたところ
fusuma2.jpgfusuma2.jpg
上はのり付けされた襖紙を本体の上に被せたところ
fusuma3.jpg
こんな感じで仕上がりました
posted by woodhome at 17:40| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年07月05日

財政健全化とは国の富を増やすなと言っているに等しい

政府債務を減らさないと日本経済は破滅する、と世に名の知られたほとんどの経済専門家や経済人が昔から言っています。数は減りましたが今でも多数派であることは変わりません。いわゆる財政健全派です。安倍政権もまた財政健全化を経済政策の柱の一つにして消費税の増税を行うと言うのですからあなたと同じようです。彼らは国の借金を減らさなければ円や日本国債は暴落する、あるいはスーパーインフレになると20年も30年も前から言っています。

ところが日本はデフレに陥りましたが彼らの言うような経済破産は一向に起こりません。それでも彼らは自説を曲げません。何もしなければ必ずそうなると未だに言っています。

彼らは学者としてまた職業人として誠実ではありません。もし現実が自説のようにならないなら自説が間違いではないかと疑うのが普通です。ところが彼らは現実が自説のようにならないのは現実が間違っているからだと言い張るのです。どうしょうもないですね。

経済繁栄する、経済が成長する、ということは人にとって有用なモノやサービスがより高品質に、より豊富になるということです。仮にそれらのモノやサービスを富と呼ぶます。富は人がいなければ存在しません。言いかえれば人にとって有用なものは全て富です。人は何から何まで自給できませんから足りない富を他人から得るために交換を必要とします。その必要性を満たすために国は通貨=カネを発行します。富が実体であり、カネは富に寄り添う影のようなものです。従って一国の経済政策の最優先事項は富を増やすことであって、間違っても財政健全化=カネを減らすことではありません。

例えば国が通貨を1憶円発行すると国の帳簿には借方現金1憶円、貸方発行銀行券1憶円と記録されます。財政健全派が言う国の借金とはこの発行銀行券の残高を意味します。なぜなら政府の国債債務が究極的にたどり着く先はこの複式簿記の貸方=負債勘定に記録された発行銀行券残高だからです。
返済の義務がある債務を借金と言います。しかしこの国の債務を返済する必要がありません。従って借金と呼ぶのは間違っています。国の債務の実体は発行銀行券の記録にすぎません。富が増えれば交換に必要なカネも増えます。経済成長=富の増加とカネの必要量=富の影は正比例します。
つまり日本の巨額な国の債務は日本経済が厖大であることを意味しているにすぎません。世界の他国を見てもしかりです。経済規模の大きい国の債務はどこも巨大です。経済規模と国の債務とは正比例するという必然の結果にすぎません。なぜこんなはっきりしている事実を彼らは否定するのでしょう。そう彼らの目にはそれは現実が間違っていると映るからです。

経済健全派の方でもさすがに国の借金をゼロにしろ、という人はいません。彼らも国の借金ゼロの国など世界で一国もないこと、あまりに現実離れしていることを知っているからです。しかし、借金を増やすなあるいは減らすべきだ、と言います。そう言われると今度は少しもっともらしく聞こえます。
しかしそれは国の借金をゼロにしろ言っているのと同じ位ばかげています。なぜなら国の借金を増やすな、減らせと言うのは国の富を増やすな、減らせと言っているに等しいからです。
posted by woodhome at 11:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする