ところが日本はデフレに陥りましたが彼らの言うような経済破産は一向に起こりません。それでも彼らは自説を曲げません。何もしなければ必ずそうなると未だに言っています。
彼らは学者としてまた職業人として誠実ではありません。もし現実が自説のようにならないなら自説が間違いではないかと疑うのが普通です。ところが彼らは現実が自説のようにならないのは現実が間違っているからだと言い張るのです。どうしょうもないですね。
経済繁栄する、経済が成長する、ということは人にとって有用なモノやサービスがより高品質に、より豊富になるということです。仮にそれらのモノやサービスを富と呼ぶます。富は人がいなければ存在しません。言いかえれば人にとって有用なものは全て富です。人は何から何まで自給できませんから足りない富を他人から得るために交換を必要とします。その必要性を満たすために国は通貨=カネを発行します。富が実体であり、カネは富に寄り添う影のようなものです。従って一国の経済政策の最優先事項は富を増やすことであって、間違っても財政健全化=カネを減らすことではありません。
例えば国が通貨を1憶円発行すると国の帳簿には借方現金1憶円、貸方発行銀行券1憶円と記録されます。財政健全派が言う国の借金とはこの発行銀行券の残高を意味します。なぜなら政府の国債債務が究極的にたどり着く先はこの複式簿記の貸方=負債勘定に記録された発行銀行券残高だからです。
返済の義務がある債務を借金と言います。しかしこの国の債務を返済する必要がありません。従って借金と呼ぶのは間違っています。国の債務の実体は発行銀行券の記録にすぎません。富が増えれば交換に必要なカネも増えます。経済成長=富の増加とカネの必要量=富の影は正比例します。
つまり日本の巨額な国の債務は日本経済が厖大であることを意味しているにすぎません。世界の他国を見てもしかりです。経済規模の大きい国の債務はどこも巨大です。経済規模と国の債務とは正比例するという必然の結果にすぎません。なぜこんなはっきりしている事実を彼らは否定するのでしょう。そう彼らの目にはそれは現実が間違っていると映るからです。
経済健全派の方でもさすがに国の借金をゼロにしろ、という人はいません。彼らも国の借金ゼロの国など世界で一国もないこと、あまりに現実離れしていることを知っているからです。しかし、借金を増やすなあるいは減らすべきだ、と言います。そう言われると今度は少しもっともらしく聞こえます。
しかしそれは国の借金をゼロにしろ言っているのと同じ位ばかげています。なぜなら国の借金を増やすな、減らせと言うのは国の富を増やすな、減らせと言っているに等しいからです。
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